今回のテーマはハム。極上ハムの製造・販売元として県民から篤い信頼を得ている「筑波ハム」の中野正吾会長が主人公です。現在80歳になった中野さんが40代の頃、茨城県は日本一の養豚県でした。そんな中、中野さんも県南一の規模を誇る養豚農場を経営、月100頭の出荷を目指し頑張っていました。とはいえ、「養豚」だけでは経営が不安定だというのは、当時の農家の共通認識でした。食肉処理から流通、小売りまで手がけようという農家がある一方、中野さんが進んだのは食肉加工への道。ハム、ソーセージなどへの商品化でした。

ハムづくりとの出合いは、意図したというより、偶然の要素が強いものでした。16歳から家業を継ぐ形で農業を始めた中野さん。勉強が好きだった中野少年を説得したのは父。「縁の下のくもの巣から、かまどの灰までお前のものだ」と。「くもの巣をもらってもしょうがないなあ」とは思ったものの、父の言葉には抗えなかった…。
本格的に養豚をスタートさせた30歳の頃、生まれた子豚の病気を防ぎたいと、人工乳の開発に乗り出したのが人生を変えるきっかけを作りました。研究熱心な中野さんは、千葉県にある国立研究機関に毎週通い、教えを乞い、自ら研鑽を重ねました。研究者には無謀としか映らなかった牛の初乳で、子豚に免疫を付けさせる方法を実践。成功させたのは、中野さんの大きな功績の一つです。
研究所に通ううち、偶然口にしたのがそこで実験的に作られているスモークしたハムでした。「売れるかもしれない」。直感のようなものもあり、以後ハムづくりに没頭することになりました。

「道楽ばかりでは困ります、と社員に言われちゃうんだよ」と笑う中野さん

1年以上乾燥させて桜の薪で、香りが隅々まで染み渡るまでじっくりスモークします

「道楽心がなければ本当にいいものはできない」と中野さんは断言します。実際、「ハムは難しい、売れるはずがないから止めなさい」という声は、世話になっていた研究場の長からも出たほど。親しくしていた場長は、なんでも夢中になる中野さんが、結局は養豚場まで潰していまうのではないかと心配したのでした。
周囲の制止の声をまったく意に介さず、1981年に「筑波ハム」をスタートさせた中野さん。ひたすらおいしいハムづくりにまい進しました。研究所で学んだドイツの伝統製法を基本に、それを日本人好みにアレンジ。素材の味を損なわないよう、塩加減、香辛料を工夫しました。温度管理は厳密に、清潔を保つためにやるべきことは、手は抜かない。長期熟成、炭火乾燥、桜の薪でじっくりスモーク。原始的で手間ひまがかかり、合理化もできない。「このやり方は原価を下げられないし、もうからないです」と中野さん。もうからないから、大手ができない。大手がやらないからこそ、そこに活路がある…。

1990年にオープンした「レストラン自然味工房」。研究学園都市が近いという立地条件にも助けられました

3年間ぐらいは苦戦続きでした。5、6年たつ頃にようやく品質が認められ、10年目ぐらいには「筑波ハム」をもとめて、観光バスがくるようになりました。
中野さんには実はずっと気になっていたことがありました。同じようにつくっても、ハムの味にばらつきがあることです。持ち前の好奇心が頭をもたげ、「道楽心」のまま、研究を始めた結果生まれたのが「つくば豚」です。旨みの元、赤身内の脂肪の含有量が個体によって6倍の違いがあることを発見。DNAをチェックし、よりよい血統を選抜、さらに飼料や環境を整えることで、ばらつきのない豚が誕生したのです。
1990年に、養豚からは身を引き、養豚場だった所に「レストラン自然味工房」をつくりました。ハム製品や、地元の食材を使った料理をゆっくりと食べてもらうためです。さらに2010年には、筑波ハム直売所「つくば陣屋」を建設。つくば豚のハムや精肉、惣菜のほか、同社自慢のドリンクヨーグルトなどを販売。体験教室や工場見学もできるようになっています。

 

「レストラン自然味工房」の店内

広々とした敷地の中には、池のある癒しスポットも

研究所で出合った乳酸菌で作った飲むヨーグルト

筑波ハム直売所「つくば陣屋」。充実した精肉コーナー

筑波ハム直売所「つくば陣屋」。地元の野菜なども販売

筑波ハム直売所「つくば陣屋」。左には見学コースも