日本国内で平成24年度に生産された淡水真珠の量は概数値で80kg。そのうち69kgが茨城県の霞ヶ浦で作られています(農林水産省発表「内水面漁業生産統計調査」から)。県外に目を向けても、生産県は琵琶湖を有する滋賀県のみ。日本一の広さを誇る琵琶湖を遥かにしのぐこの数字は、淡水真珠の養殖がまさに霞ヶ浦の独壇場であることを示しています。様々な苦難を乗り越え、茨城県の真珠をここまで育ててきた人々の一人に「明恒パール」社長・北尾正一さんがいます。真珠の美しさに魅せられ、真珠養殖の道をまい進した北尾さんの姿を通じて、茨城県淡水真珠の歴史を垣間見ることにしましょう。

北尾さんは大阪出身です。奈良県との境の山間部で育ちました。噂で聞いた真珠養殖に興味を抱き、真珠王・御木本幸吉が活躍する三重県伊勢町を訪れたのは20代のころ。不恰好なアコヤガイの中から美しい玉が出てくるのを見て、大きな感動を覚えたといいます。その感動こそが北尾さんの人生を大きく変え、ひいては茨城県の特産品として霞ヶ浦の真珠が存在する、原動力の一つになったわけです。
まったくの素人である北尾さんを導いてくれる人にも恵まれ、三重県志摩半島で約4年間かけ、オペと呼ばれる核入れ技術を身につけました。いよいよ養殖を始めようということで、場所として選んだのが、滋賀県の琵琶湖でした。海に比べ、イカダの製作など養殖のための設備が簡易で安く済むというのが理由でした。その後長いつきあいとなるイケチョウガイとの最初の出合いがこの時です。

店舗に立つ北尾さん。手にしているのがイケチョウガイ。84歳の今も元気いっぱいです。

淡水真珠養殖場。浮きいかだに核入れされた母貝がつるされています(北尾さん提供)

ところがこれが大失敗。琵琶湖周辺の田んぼにまかれた農薬が湖に流れ込み、湖のシジミはもちろん、北尾さんのイケチョウガイも全滅。一文無しに。その後も強敵となって真珠養殖の前に立ちふさがる「環境の変化」との最初の闘いは完敗でした。茫然自失の北尾さんでしたが、真珠の養殖をあきらめるつもりはまったくありませんでした。
次の舞台が、霞ヶ浦で初めて真珠の養殖を始めた宇田誠一郎さんの宇田パールでした。ここでも順風満帆というわけにはいきませんでした。霞ヶ浦ではそれまで見向きもされなかったイケチョウガイが養殖を機に高騰。乱獲、密漁などもあって激減。水環境の急激な変化も加わり、だんだん養殖が困難な状態になってしまいました。
打開策の一つとして、イケチョウガイの養殖に乗り出した北尾さんは、試行錯誤の末に養殖に成功。「あの時にね、特許を取っておけば、今ごろは億万長者だったのになあ」とちょっと残念そうな北尾さんです。

養殖から加工、販売まで一貫して実施している「明恒パール」。明恒は「恒に明るく」の意味。

現在霞ヶ浦には明恒パールの養殖場を含め、淡水真珠養殖場が8ヵ所あります。環境の変化による影響を最小限に留めるため、霞ヶ浦に注ぐ新利根川、園部川、小野川の河口に作られています。真珠の美しさに魅入られた北尾さんは、その感動に後押しされ、これまで苦難を乗り越えてきたこともあり、養殖だけでなく、アクセサリーとしての完成品まで見届けたいと、「明恒パール」は牛久市に店舗を構え、加工、販売までを一貫して実施しています。
淡水真珠は、外套膜片を核として、人口の核を挿入しないことから真円ではなく、さまざまな形状になることが特徴です。世界に2つとない、生き物が作り出す宝石。これら淡水パールの伝統を尊重しつつ、北尾さんは今、別の試みも始めています。人口核を挿入して20mmの大玉を作ろうとチャレンジ中。「7年後の東京オリンピックの年にはできると思う。素晴らしい霞ヶ浦という湖を使って、世界に名乗りを上げたいのです」と北尾さん。霞ヶ浦生まれの20㎜の真珠!是非見てみたいものです。

 

オペ後ネットに入れ、この状態で湖中に吊るします。

養殖用の貝には、このように様々な種類があります。

淡水真珠の場合は1つの貝に複数の真珠が生まれます。

形を考えながら固定し、ベストな位置に穴を開けます。

自然が作り出した色も形も全部違うのが淡水真珠。

店内には美しいアクセサリーが並んでいます。