農林水産省統計情報部の発表によると、平成24年産栗の収穫量は2万900t、そのうちの5,090トンが茨城県産です。なんと24%、ほとんど四分の一が茨城県で生産されており、断トツの日本一です。主な生産地は笠間市、かすみがうら市、石岡市など、中央部から南西部が中心。平らで広い農地が確保でき、温暖な気候が果実作りに適しているとはいえ、茨城県がこのような栗王国になることができたのはなぜか。今から100年以上も前、明治後期に端を発しているその歴史を、ひも解いて見ましょう。

茨城県で最初に栗栽培を始めたのは、旧千代田村(かすみがうら市)の地主、長谷川茂造氏だといわれています。日本中の山野に自生している「ニホングリ(シバグリ)」を見て、その収益性に気づき、栗園を開いたのが明治31年でした。次に登場したのは水戸市出身の八木岡新右衛門氏。接木法による栗の品種改良に成功。茨城栗にその技術を導入し、栽培の普及に尽くしました。これにより千代田地方の栗は、大正末期には栽培面積も、生産量も飛躍的に増えていました。
功労者として忘れてはならないのが、大正8年に旧千代田村で、「四万騎(しまき)栗園」を始めた兵藤直彦氏です。栗園を始めてはみたものの、接木苗の生育が思うようではないことを悩み、研究、実践を繰り返す中で確立したのが「高接(たかつぎ)」の技術でした。

広々とした敷地に建つ四万騎農園の建物。石蔵のコンサートホールもあり、歴史を感じさせてくれます。

四万騎農園現当主・兵藤保さん。長い農園経営を通じて知ったことは「土がすべて」ということでした。

これまでは地面から5、6cmのところで接木していたことから、そこが凍害に弱いことを発見。30cmの高いところで接ぐ方法を確立したもの。土をかけることができない分、蝋紙を巻きつけ湿度を保つなど、研究の成果を広く一般に伝え、昭和前期の栗農家をリードしました。
現在は「四万騎農園」として、子息の保氏、孫の昭彦氏が運営。生栗に加え、ジャム、渋皮煮などの加工品を、直売を中心に販売するスタイルで、多くの固定客をつかんでいます。
「栗は、ゆでる、むく、と手間がかかります。手間を掛けた挙句まずいなんてことになったら、もう食べないですよね。食べて、また食べたいと思う栗を作ることが、本当に重要なんです」と保氏。力のある土こそ、おいしい栗作りの原動力だと、土作りに力を入れる同農園。毎年注文してくれる40年来のお客もいます。

幸鹿堂会長・大槻さん。「茨城の栗はまだPRが足りないと思う。残念ですよ、せっかくのいい栗が」。

神栖市の和菓子店「幸鹿堂」が、特大サイズの栗を丸ごと入れた「栗心」を作ったのは平成6年。現在の場所に本店をリニューアルオープンしたことを記念して、特徴のある商品を作りたいと思ったのがきっかけ。「栗の加工品を仕入れて作るのではなく、生から仕上げなくちゃ」と大槻和行会長。地元産で、大きくて品質の良い栗を求めて出会ったのが、生産者・酒井正さんでした。かすみがうら市で大規模栗園「マロンサカイ」を運営、栗の品質の高さでは定評がありました。もう10年以上、「マロンサカイ」の栗で作り続けています。
幸鹿堂ではその他、茨城県産業技術課と協力して、岩間産の加工した栗を使った「三ツ栗」も販売中。渋皮煮が入った栗パイ、焼栗まんじゅう、モンブランを、「いばらきデザインセレクション2010」に輝いたモダンな包装でセットにした、かわいらしい栗菓子です。

 

「マロンサカイ」で取れたばかりの丹沢早生。つやつやで大型。「30分ゆでて食べてください」と酒井さん。

収穫の時期を直前に控え、トラクターの整備をする酒井さん。父から引継ぎ、全国でも屈指の大栗園に育てました。

今はまだひっそりと出番を待つマロンサカイの選別のための台。「栗は鮮魚と一緒」(酒井さん)、スピードが大切。

四万騎農園のジャム。写真は、店舗に置いてある試食用。ラム、オー・ドゥ・ヴィ、プレーンの3種類があります。

幸鹿堂の「栗心」(左)。生栗から仕上げた会心作です。右は大きな渋皮煮を、パイ皮で包んだ「マロンクラウン」。

岩間産の加工栗を使った三ツ栗。3種類の異なった方法で作られ、それぞれバラエティーも楽しめる、栗のお菓子です。