茨城県西部に位置する結城市は、歴史を感じさせるしっとりとした街並みが魅力的な、古い城下町です。そんな静かな街の一角に「堀江桐タンス店」はあります。総桐タンス製造ひと筋70余年、作業場には、それぞれ使い方の異なる十数本のかんなやのこぎりが整然と並び、代々桐タンスを作り続けてきた同店の歴史を物語っています。現当主の堀江準一さんは三代目、息子の祐輔さんが四代目として修行中です。桐たんすは紬とともに結城を代表する工芸品で、最盛期には、結城全体で年間3000棹も生産されていました。現在では残念ながら、身近な家具としての需要は減りましたが、同店では用途や希望に合わせたオリジナル品を作るなど工夫を重ね、一生使える家具として多くの方々の支持を得ています。

 

桐たんすができるまで!

何年もかけて桐材に

桐は桐材になるまでに何年もかかります。切り出してから丸太のまま2、3年は寝かせ、製材してからも、さらに、風雨にさらす必要があります。ものによってはそれが数年になることも珍しくありません。気の遠くなるような過程を経て、やっとたんすを作る桐材になるわけです。それに加え、準一さんは、国産の桐材への強いこだわりを持っています。第一に美しいこと、次に、育った気候の中にあってこそ、桐特有のよさが生きてくるからです。

国産桐材は年々入手困難に

ところがその桐材が年々手に入りにくくなっています。注文がきても、満足がいく材料が入るまで、待っていてもらうこともあるほど。「これからは自分で山に入って切り出し、トラックに載せて持ってくるようになっちゃうかも」と準一さん。実際、「娘が生まれたときに植えた、自分の桐でタンスを作って欲しい」という要望もあり、そんなときには自ら出向き伐採、運搬してくることもあります。

伝統技術に変革も必要

昔と違い、気密性の高い家が多いことから、その環境に対応できる家具つくりを工夫しなければならないとも感じています。伝統の技術だけではどうしても対応できない部分です。その最たるものが張り合わせ。昔は白飯を糊にして使っていましたが、それでは現代の家の中では乾燥による隙間ができやすいのです。なおかつ虫くいの原因にもなっていました。体に害のない接着剤を使用し、より狂いの出にくいたんすに仕上げています。

 

木材乾燥。雨ざらしにして灰汁(あく)を抜きます。

木取り。製品の形に沿って、大まかな寸法に切ります。

板焼き。熱を加えて捻じれを取ります。

板はぎ。仕上がりの寸法に合わせ、板を接合。

幅決め。切り回しともいい、完成品の寸法に合わせ切ります。

本体のほぞ加工。柄加工ともいい、ほぞや溝を掘ります。

本体組立。うつぎを差し込み組立、外がわをカンナかけ。

完成。引出の出し入れなど最終調整。足の調整も。

 

ここが匠の技!

昭和30〜40年代の結城にはたんす店が40軒近くありました。当時は同じ形のものをどんどん作り、問屋に卸すという「スピードが勝負」の時代でした。今や4軒に減少し、順風とはいえない状況ですが、堀江さんはめげていません。桐たんすの美しさ、利便性への自信、堀江さんの桐タンスが欲しいといってくれる客の存在に加え、後継者として息子、祐輔さんが傍らに控えているからです。準一さんの下で修行7年目になる祐輔さんを「まだまだ」と評する準一さんですが、四代目に技術を受け渡し、伝統を守り続けることができる喜びは隠せません。

準一さんは家具一級技能士で、建具の一級技能士の資格も持っています。職人人生は大工としてスタートしましたが、妻・貴代美さんと結婚するにあたり、貴代美さんの生家の家業を引き継ぐことになりました。0.0数ミリ単位の精度を求め、手になじむカンナを自作するなど、道具へのこだわりは大工時代からのものです。

 

堀江桐タンス店 アラカルト

この世界には独特な呼び名があります。左から「下二大洋」「小袖三ノ三」「大開(おおびらき)」「五ツ割上洋」です。昔ながらの和たんすだけでなく、洋風なインテリアとしても映えるチェスト風なデザインのものもあります。また、受注生産だけでなく、桐だからこそ可能な「削り直し」の注文にも力を入れています。

Information

堀江桐タンス店
住所  茨城県結城市結城1645
お問い合わせ TEL:0296-33-2063
堀江桐タンス店

 

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